皆実高校の憩いの森にぽつんと立つ小さな石柱にはどんないわれがあるのだろうか。アーカイブスお姉さん教えてください。

門柱の所在地の移り変わり(前編)

① 明治35年 下中町に開校した県女の門柱


広島県立高等女学校は1902(明治35)年4月に広島市下中町に発足した。この校地は1877(明治10)年に創立した広島英語学校の跡地であり、広島中学校、広島県師範学校に引き継がれていた。二対四本の石門柱は明治10年に広島英語学校の門柱として設置された。明治**年広島県高等女学校が校地を引き継いぎ同校の門柱となった。

門柱の歴史の源は1877(明治十)年広島英語学校に発する。その後広島中学校、広島師範学校の各時代を経て1902(明治35)年四月に発足した広島高等女学校に引きつがれた。当時門柱には「広島県立広島高等女学校」と書かれた居たの門標が掲げられ、アーチ型に外燈があしらわれていた。

② 大正11年頃の県女校地全景

県女が引き継いだ広島県師範学校敷地の一帯はかって士族の邸地であった。敷地内の北西に江戸時代儒学者で広島藩士の頼杏坪の住まいがあった。校地は13,365平方メートル余(のちに5,178平方メートル余を知事官舎建築のため国に寄付、建物建坪は4,297平方メートル余)であり東側中央に正門、北西に広々とした植物園が設けられていた。

    ③ 大正11年頃の県女本館と校門

    大正時代の登校風景。右の門標に広島県高等女学校が左には広島女子専門学校が掲げられていた。
    1941(昭和十六)年四月に校名が改称された第一県女の門柱としてひきつがれた。

    ④ 被爆直後の県女周辺

    原爆による数千度の熱線が爆心地から約2キロメートル以内の可燃物を焼き尽くし、1平方メートル当たり30トンの風圧、1秒当たり380メートルの風速の爆風で爆心地から約3キロメートル以内のほとんどの木造建造物が大破全壊した。
    爆心地から650メートルにあった第一県女の校舎は倒壊し灰 燼に帰したが、4本の県女の門柱は倒壊を免れ戦後母校の復興のシンボルとなっていった。

    ↓アメリカ軍撮影 原爆投下前の広島市内



    ↓原爆投下後の広島市内


    原爆投下により広島市内は灰燼に帰した。

    校舎の無残な焼け跡に立ち広島第一県女生の心の支えとなった四本の石門柱

    ⑤ 昭和21年 出汐町に第一県女移転

    (第一県女の小さな校名を掲げた跡のある石門柱の写真を載せる)

    昭和21年**月広島第一県女の校地は旭町の旧陸軍被服支廠跡地に移転。

    1947(昭和22)年、下中町に残されていた4本の門柱は正門の内側に移設された。
    門柱としての本来の役割を終えたが、その地で第一県女、戦後教育改革により発足した新制高校の広島有朋高等学校、さらに「高校三原則」に基づく高校再編成で設立された広島県立広島皆実高等学校の多くの生徒の登下校を見守っていった。

    有朋高校時代門標は旧陸軍被服廠の門柱に掲げられていた。前方に2本の石門柱がある。

    皆実高校時代の石門柱 広島県広島皆実高等学校の門標を掲げている。

    ⑥ 昭和31年 「追憶之碑」北側に門柱を設置

    1955(昭和30)年、旧下中町の県女の正門跡地に原爆で犠牲になられた第一県女教職員生徒の慰霊のため「追憶之碑」が建立された。県女の門柱の内柱の1本がこの碑の背後に設置された。
    石柱には「広島県立広島第一高等女学校」の文字が彫り込まれた大理石の校標がはめ込まれている。
    2015(平成27)年被爆70年にあたり「追憶之碑」とその周辺が改装再整備された。石柱は西側前面に移され、被爆状況を示す説明板には英訳文も付け加えられた。あらたに県女の校章をアレンジしたハート型の千羽鶴掛けが設けられた。

    1955(昭和三十)年、旧下中町の県女正門跡に「追憶之碑」がたてられたのに伴って、内柱一対の内の右側の柱がこの碑の背後に建てられた。この門柱には「広島県立広島第一高等女学校」の文字が彫り込まれた大理石の校名標がはめこんである。旧県女時代の板の門標は第一県女時代には大理石に変えられて校名が刻まれたものと思われる。

    寄贈 広島英語 明治十年 の刻字がある。

    門柱の所在地の移り変わり(後編)

    ⑦ 昭和31年 図書館整備の記念碑

    外柱の一対のうち、その一本は現在本校の玄関前の内庭にある。
    この柱は1956(用和三十一)年にこの位置に図書館が完成したのを記念して建てられた。この門柱の下方部には「明治十年位置学、寄付、営繕係、田部O蔵、同田部才蔵」の文字が三行に彫り込まれている。年代から見て広島英語学校に寄贈されたものであろう。

    ⑧ 昭和36年 皆実有朋会が寄贈したプールの記念碑

    昭和35年4月28日皆実有朋プール修祓式

    内柱一対のうちの左側の柱は現在本校プールの傍らに立っている。1961(昭和三十六)年本校開校六十周年に際して皆実有朋会からプールが寄贈されたが、この門柱にはそれを記念して「皆実有朋プール」の文字が刻まれた。

    ⑨ 昭和36年 PTAが寄贈したプール浄化装置の記念碑

    外柱の残りの一本は何時の頃からか半分に折れたが、その上半部が現在本校プール横の浄化装置のある位置に建てられている。
    折れて短くなったその柱身には「プール浄水装置寄贈・皆実高校PTA,1960年三月」と彫られている。

    ⑩記念碑は「いこいの森」へ
    ⑪ 門柱の現状
    ⑫門柱の恒久的保存を