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第59回総会 展示資料(その2)

『学校新聞で見る高校再編成の時代』

(1)第一県女新聞 創刊号 (昭和21年8月6日発行)

原爆投下から1年後の昭和21年8月6日、全国に先駆けて雑誌部委員により創刊された。新制有朋高校に移行する直前の昭和23年3月までに14号を発行し、有朋高校新聞に引き継がれた。

□ 創刊号 第一面全体写真
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14号までの主な記事
新しい時代に

巻頭言     土橋幸之助校長   創刊号(昭和21年8月6日)
新の自由を把握せよ(浜井市長を訪う)第10号(昭和22年11月)
巣立ち雑感   生徒論説      第14号 (昭和23年3月)

旧制の女学校から新制の高等学校へ

新学制実施にさいして 土橋幸之助校長 第6号(昭和22年4月)
発揮せよ有終の美           第13号(昭和23年2月)

復興へ

私たちの学苑  雑誌部5年委員  創刊号 (昭和21年8月)
第1回復興祭           第4号 (昭和22年2月)
新校舎にうつりて         第7号 (昭和22年7月)
卒業生を送る  土橋幸之助校長  第5号 (昭和22年3月)
回想断片    坪井守麿教諭   第14号 (昭和23年3月)

学校のようす

学苑日誌抄            創刊号 (昭和21年8月)
友へ      1年 多田雅子  創刊号 (昭和21年8月)
現代かなづかい 研井知陽教諭   第4号(昭和22年2月)
4、5年読書調査         第9号 (昭和22年10月)
スポーツ県女           第10号(昭和22年11月)
スピーカー            第10号(昭和22年11月)
「かまぼこ」さん達も大乗気    第12号(昭和23年1月)
先生と生徒の混声合唱       第13号(昭和23年2月)
生徒通学調査 どしどし広島に復帰 第13号(昭和23年2月)

 

ピックアップ

第一県女新聞

○私達の学苑  五年雑誌部委員      復興へ        1号

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焼跡にも緑が萌え遂に又思い出の八月が廻って来た。この一年何と言う変転の月日であったろうか。しかし今我が第一県女は着実に新生の第一歩を踏み出した。昔なつかしい下中町の校舎は幾多の先生方お友達と共に悲しい思ひ出を秘めて無残にも灰燼に帰してしまったが早くも五万坪の広大な土地を有する陸軍被服廠跡を私達の第二の学校として勉学に運動にいそしんでいる。

学校が落ち着くと共に精神的にもそれぞれ拠り所を得て子弟一如一途に高いものを求めて進んでいる。軍国主義的図書を一掃した図書室も設けられ生徒の世論を率直に語る「声」といふ投書箱も出来各級毎の常会も開かれて生徒の決議事項は直ちに実行に移される。校友会各部も復活され部員一同張り切っている。殊に雑誌部ではこの様に素晴らしい新聞が発行されることになった。放課後肥料をお担ぎになる先生方鍬を振るう生徒,夏の青空に軽やかに打ち上げられるバレーのボールに乙女等の希望が踊る。走る人跳ぶ人陸上競技部の人の健康そのものの様な血色,引揚同胞援護会事業に自発的に進出して行く五年有志の意気。私達の生活がかくも明るく健やかなのは皆の復興の熱と若さと力とによる敗戦による生活苦と食糧難,交通難,道義の頽廃,学用品もなし,家庭事情も悪い環境下にあって私達の一日を勉学に専念するは至難事である。しかし私達は是等幾多の難関を乗切って向上の一途を辿っている。第一県女が完全に民主化されたとは未だ云えないかも知れないがそう呼ばれる日も遠くないであろう

○第一回復興祭開催            復興へ         4号

梅花かおる如月の九、十、十一の三日間生徒の自発的な声のもとに生徒代議員会議で決定した本校第一回復興祭が先生方の御指導を仰いで開かれることとなった。学芸会、バザー、喫茶等が開設され各部主任の先生を中心として私達は有意義な復興祭にしようと一生懸命である。一切を生徒の手でと五年生は大活躍をしている。学芸会では、学校劇、和洋舞踊、音楽等と何れも驚嘆の眼をみはらしめるものばかり。中でも洗練された舞踊、劇は玄人も及ばぬ所があろう。
バザーに於いては名士の作品の頒布、生徒の心からの家庭必需品の製作物委託品等何れも実費をもって販売する。又喫茶部に於いては物資不足の折からも種々の材料が集められ、甘党の店も開かれる。この催しは生徒自身の自発的な活動によるものでその純益をもって学苑復興費の一部にあてたいと考えている。自由の学苑、民主県女の建設に我々は盛り上がる若き力を捧げて努力しているのである。
尚この復興祭の歌募集の結果、二年生の福井富美子さんの作入選直ちに岡本先生に作曲して戴いて復興祭当日にはその発表会も併せて行う。歌詞及び学芸会のプログラムは次の通りである。

“復興祭の歌”

一、 焦土と化しし学舎に
佇てば坐ろに涌く涙  たてばそぞろに
亡き師の霊に額づきて   ぬかづきて
我が学苑の再興を
固く誓ひて決然と
奮ひ起ちたる鳴呼我等
二、 民主県女の旗幟高く    きし高く
明日の希望に燃え立ちて
苦難の道を切り開き
我が学苑の復興を
我等乙女の盛り上る
力捧げてなし遂げむ
三、 行手に風はすさぶとも
荊棘は如何にしげくとも   いばら
学びの道を一筋に
共に進まん手を取りて
平和日本の建設に
文化日本の建設に

 

○論説 巣立ち雑感            新しい時代に      14号

巣立ちという事はうれしい事に違いない。卒業する者自身にとっては勿論、その親にとっても又その師にとってもうれしい事であるのが当然である。
私達は今目前に第二の巣立ちをひかえている。だがうれしいと思う半面により強く心残りなさびしさを感じるのは私だけであろうか。
平和な時代の女学生の感傷とはまるで違う。さびしさというよりは、さびしい不安という方が適切かもしれない・・・そんな気持ちを強く強く感じるのである。今から考えると無理だったあの戦争に勝利の日を期しつつ学業を捨てて生産に従事した動員時代の学力を遂にとりもどす事が出来ないで世間の人からも又先生方からも、卒業程度の学力がない事を黙認されたまま巣立つのはさびしい。学園の外が日一日と変貌しつづけるめまぐるしい過渡期の社会である事もさびしい。だが前途の保証されない日本である事が何よりも心細いのである。
将来の我が国の歴史を如何に書き込むかは、私達の盛り上がる熱情と困難をのりこえて理想を実現すべく努力する意志ある行動の如何であろう。歴史を書き込む者――その偉大なる責務を負うものは、私達より外の何者でもないのである。
私達は子孫が幸福になる様な歴史を綴らねばならない。そう思うとき、この光栄ある仕事は、実に重く、そして限りない苦しみの仕事であることを痛感する。私はそんな苦しい事は嫌だといってもこの責務から逃れる事は凡そ出来まい。みんながそんな重荷は誰かがかついでくれるだろう。・・・私は苦しむのは嫌だと見てみぬふりをしていたなら、私達はとりも直さず日本滅亡の歴史か、或は又子孫が隷属化する様な歴史を書き込む事に外ならないからである。どうせ逃れられない責任ならかがやかしい歴史の一頁を記して、この大いなる務をよろこびを以て完遂しようではないか。
現在の深刻な生活はややもすれば私達を現実の生活に妥協させ勝ちである。でも理想を追求するところにこそ進歩があって現実への妥協には堕落しかない事を知るならば、私達は空虚な惰性の生活を送る事は出来ない。何の目的もなく唯時間にひきずられての生活――それは生存でしかない。
やがて私達の第二の母校となる第一県女。その復興の一端を私達の手で受け持った事を思うとたまらない愉しさが湧き上がってくる。
炎天下の机運びはつらかった。倉庫の教室の冬の授業は寒かった。でもかって苦しかった事が今思うとみな愉しい思い出である。そしてきびしい授業をなさった先生程なつかしく思われる。何時だったか教会で神父様から、苦しみのキリストに近づけば近づく程、光栄のキリストにも近づく事が出来るという御話を聞いた事をふっと思い出す。
卒業の時期が四月なのはうれしい。何となく目にうつるものすべてに希望がもてそうな気がするからである。大きな希望に胸をふくらませて巣立ちのスタートを切ろう。だが春の快さに押流されてしまうまい。私達には将来の日本の歴史を決定する重且大なる責務がある。
翼が疲れたなら母の巣へ舞いもどろう。そして慰め力づけられたら、又元気溌剌と飛び立とう。私達の母の巣がよりすぐれた巣であった事を今更の様に感謝しつつ、なほ残って学問に励み教養をつまれる方らに、本校をこれからますます進歩発展させるべく努力されん事を心からお願いする。    (三吉)

 

 

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